2016-06-13

Aの話 − 最終話

ボリスがそのメールを受け取ったのは月曜日の夜だった。

私たちを散々困らせたあのAが、この世を去った。28歳だった。




いつものように私とボリスはくだらない話を交わしながら、パソコンの前でメールチェックをしたり、私は11月の個展のために文章を書いていたところだった。ふとボリスが私に「ちょっと、いい?大事なことなんだ、聞いてくれる?」というので、(真面目な顔して、急にどしてんろ)と思って振り向くと、「Aが、死んだ。」と言ったのだった。


A、と書くのはもうやめることにする。彼の名前はAlexisアレクシーという。アレクシーに最後に会ったのは(道ですれちがったのは)、もう6ヶ月も前のことだ。私たちが前住んでいたアパートの近くのバス停のベンチに彼は座っていた。終始へらへら笑っていたので遠くから見てもお酒を飲んでいるのは明確だった。「よー!」と手を振る彼にボリスは頼りなく手を振り、私たちはそのままその場をあとにした。
実はその数日前に彼はボリスと私を電話でひどくけなしたばかりだった。彼のデッサンを預かっていたボリスに対して「俺の絵をそのまま盗るつもりだろう。何様のつもりなんだ。」彼が学生時代に描いた大きな絵を、自宅に置く場所がないから預かっていてくれないかと頼まれ、私たちのガレージに保管してしたのだが、その話を持ち出し「早くあの絵たちを返せ。」などと長々酷い口調で散々ボリスを罵倒したあげく、終いに彼は「外国人となんか付き合ってないで、フランス人の彼女くらい見つけたらどうなんだ!」と言ったのだった。
私はあまりにショックだったので、ここにその出来事を書こうなんて思いもしなかったし、ボリスと私は「もう関わるのはよそう。お酒と薬のせいで妄想の度合いがおかしくなっている人に1から説明しても無駄。私たちはなにも出来ない」と判断した。(ちなみに預かっていたデッサンは彼に返さなければと、その後ボリスは必死の覚悟でアレクシーと会う約束をして出向いたが、彼は来なかった。夜になってボリスに電話をよこし「寝ていた」と一言いっただけだった)



私は街で彼に出くわしたらどうしようと怯えていたように思う。挨拶をするべきか、世間話なんてできる状態なのか?そもそも私達のことをけなしたことだって何一つ覚えてないかもしれないし、そんな人間と私達は友人といえるのかさえも分からなかった。だから、私は街中で彼に会ってしまわないかと、いつも心の底でビクビクしていた。


そんなこんなで6ヶ月が過ぎた。以前彼は予告なしにうちのインターホンを押したが、それも引越ししたおかげで無くなった。私はアレクシーのことを時々思い出しては、大丈夫かな、絵は描いてるんだろうか、などと思っていた。数ヶ月前に聞いたうわさだと、彼は道端でもめて刑務所に数日入っていたらしい。1年半前一緒に展示をした時、数ヶ月間お酒をやめていて「話」ができる状態だったのが、夢のようだと思った。


ボリスにメールをくれたのは、彼の義兄弟だった。父はガンで死に、母は自殺で数年前に他界、祖父母からも見捨てられ、独り身だったアレクシー。義兄弟とは年が離れていることもあり交流は無いと聞いていたが、彼らはなんとかボリスと他数名の連絡先を見つけ、連絡をくれたのだった。
そんな彼の家庭状況を知っているからこそ多くの人が彼に同情し、手を貸した。しかし彼は決して良くなることはなかった。全く手に負えなくなった。それぞれ理由はあるにせよ、彼の友人たちは皆ナントを離れ始め、気づけばナントに残ったのはボリスと私だけだった。


彼と関わったことのある誰もが、彼の死を一度は想像していたにちがいない。私もボリスも、何度かその話はしていた。でもまさかこんなに早く逝ってしまうなんて、誰が思っただろう。










私は仕事を抜け出して、病院に出棺の立会いに行った。「出棺」といったが、本来はフランス語でfermeture du cercueil(直訳すると「棺の閉鎖」)。ボリスのお父さんが亡くなったとき、ご遺体を見なかった私はとても後悔した。今でも彼が生きているような、ふわふわした感覚が時々やってきて、ものすごく不思議な気持ちになる。だから今回は悔いのないようにと思い、意を決してアレクシーに会いに行った。
ご家族の姿はなく、私たち二人と他4名の友人がいただけであった。通された部屋には棺が置かれていたが、葬儀屋の人によると死後から発見まで時間がかかったためご遺体は「見えない」状態だと言われ、なるほど棺の蓋はすでに閉められていた。
そのまま葬儀屋と警察の方々は手際良く棺をボルトとネジで閉めていった。2分とかからなかったかもしれない。それで、出棺は終わった。あっけなかった。






翌日火葬場には前日よりもより多くの人が集まった。美術学校時代の旧友、担当教諭、学校関係者が集まった。義兄弟のお二人はアレクシーを本当に知らなかった。どんな絵を描いていたかも、これだけ友人がいたことも、あれだけ魅力的な文章を書いていたことも。全く知らなかった。
集まった友人の中に、ポリーヌを見つけた。彼女はアレクシーが最初の自殺未遂をしたとき、一緒に病院へ通った友人だ。彼女とは学校で言葉を交わす中だったが、アレクシーのことでより親密になった。しかし親密になったといっても話すのはいつもアレクシーのことだったし、会うのはいつも病院や病院の敷地内。彼女と私たちがアレクシー無しに会うことはほとんど皆無だった。
火葬場で彼女を見つけた瞬間、4人で過ごした時間が急に蘇ってきて、涙が止まらなくなった。恥ずかしいくらい、子供みたいに皆の前で泣きじゃくった。ポリーヌはとても困った様子だったが、一緒に泣いてくれた。


火葬場で行われたお葬式はとても簡素で、ものの数分で終わってしまった。しかしその数分のために、地方から友人達が集まってくれた。わたしたちは悲しみの中にいながら、久々に旧友と時間を共有し、とてもいい時間を過ごしたのだった。






最後に、アレクシーの死因はまだわかっていない。というよりか警察が情報を公開してくれないので分かりようがない。ただ他殺ではないこと。わたしたちの予測ではおそらく酒と薬のオーバードーズであるが、分からないことが多いので、なんとも言いようがない。

自宅で一人で息を引き取った彼は、最期まで孤独だった。私たちは本当に無力だった。

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